☆かごログ☆

マリオカートメインの気ままな日記☆

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主催者として想う -これまでの物語-

Kagome杯の主催者として...

改めまして、Kagomeですっ🎵✨(=゚ω゚=)

私はマリオカートというゲームが大好きで、これまでゲーム用SNSの「Miiverse」を通して約5年ほど、マリオカートの大会を主催していました✨ この頃の動画がYouTubeにあがっているので、もし興味があればメニューリンクから飛んでね‼️(*´ω`)

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”一緒に走る楽しさを共有したい” そうした想いから活動をはじめてみて、
 同じように大会を開催しているたくさんの主催者様や、
活動を支えてくださる皆様に暖かいご支援を頂きながら、
時に笑い、時に泣いて、私はマリオカートの主催者として活動することが出来ました。
長い期間に渡ってご支援をしてくださったすべての方に「ありがとう」!!(=゚ω゚=) 

はじめに

この記事は、そうした私の大会主催者として、過ごしてきた時間。
かけがえのない奇跡のような体験を得た喜び。その反面、苦い失敗や手痛い教訓。
綺麗だけではなかった、けれども大切な時間だった「Kagome杯」について。
私の目で見て、聞いて感じたことを書き記したお話です。
なんやかんやかごログ杯の主催者として、約1年半。
Kagome杯の主催者だった日から数えると、約7年。
私はマリオカートという世界で、走り続けていることになる。

今こうして語り部を書き起こしながら改めて思うことは、この約7年間という時間は、私にとって本当にかけがえのない奇跡のような体験であり、心の底から幸せであったと思う。もちろん、手痛い失敗や苦しい思い出もそれなりにあった。協調性もなく、実力もなく、人を惹きつける魅力があるわけでも、優れたリーダーシップやカリスマ性があるわけでもない。そんな私のマリオカートというゲームに寄り添いたいという想いに、共感して一緒に支えてくれる人たちがいるのは、大変な喜びだ。

そんな私の近くで起こった、私の人生に確かな色を足してくれた、大切な人たちの物語を感謝を添えてここに書き残そう、と思った。自分の目で見て、聞いて、感じた、あふれ出てきた言葉たちが、ほんの少しでも未来のなにかのきっかけになるのなら。

WiiUとの出会い

2014年8月12日。WiiUマリオカート8の世界から「Kagome杯」は生まれた。
"一緒に走る楽しさを共有したい"という想いを持って設立したものの、はじめた当初はそれはそれは、とてもネガティブな夢であった。すべてのはじまりとなったのは、とある夏の日のこと。私が衝動的にWiiUを買いに走った日からはじまる。それは2014年の7月12日のことだった。その日まで気ままに暮らしていた私は、ふと突然「マリオカートがしたい」と思った。そう思うがいなや、すぐにお財布をひっくり返してお家を飛び出し、マリオカート8WiiUをセットで買いに行ってしまった。

さいころからゲームは好きだったのだけど、この頃の私はもうずいぶんゲームから離れていた時期だった。この日をきっかけに、本格的なオンラインのマリオカートの世界に、そしてMiiverseという初めてのSNSの世界に飛び込んでいくことになった。

ひとりぼっち

けれども、飛び込んですぐに私は、とてつもない孤独感に襲われることになる。
その頃のMiiverseは、WiiUが発売してから数ヶ月が経ち、マリオカート8が発売して約1ヶ月が経過していた。端的に言うと、もうミバ内ではそれぞれ仲良しのグループができつつあったし、発売日にマリカを買うようなプレイヤーさんは、もうそれなりに走りこんでいるという状態だった。当時の私は、今よりも卑屈でびびりで弱かったし、人見知りしがちだったから、そんなグループの輪に入れてもらうなんてできなかった。大海原にぽつんと浮かんでしまったような深い孤独感を感じたのを覚えている。

そんな中、ミバの中でひときわキラキラ輝いていて、賑わっている大会があった。それが後にMiiverseを使っているマリカプレイヤーであれば、知らない人はいないと言われるほど有名な「プリアラ杯」である。大会を見つけたとき、ふと「この人の名前を聞いたことがある」と思い出した。マリオカートWiiの頃、なにかの情報サイトに「高レート帯の常連プレイヤー」としての噂を聞いたことがあったのだ。不思議な再会に驚きつつも、私はどこか冷めていた。私もマリオカートWiiでオンライン対戦をしたことがあったのだけど、結局は高レート帯になれなかったし、本当の実力者には手も足も出ない所詮中級者プレイヤーだったので、心理的に距離を感じた。この人はマリオカートが上手だから人望もあるんだ。だから、大会を主催しているんだと。

そうやってみんながプリアラ杯で楽しいひとときを過ごしているのを、私は指をくわえてみていることしかできなかった。「あたしもまぜてぇ~✨(*´ω`)」って言えるような社交性はなかったし、ほかのプレイヤーに注目してもらえるほど私は上手くもない。声をかけてもらえるわけなんかない。WiiUを買ってせっかく楽しく遊べると思ったのに、Miiverseなんて余計な機能があるからこんな思いをするんだ。なんでMiiverseなんて機能を任天堂はつけたんだろうと、この時は思った。国内レートで必死に腕を磨きながら、けれどもぼっちなMiiverseに挟まれるうち、私の心の中で確かに、何かが芽吹き燃え上がるのを感じた。

全くのオブラートに包まずに書くのなら、「今は全然ダメダメだけど、いつか絶対乗っ取って追い越してやる。プリアラさんが絶対作れないような大会を、絶対作ってやる」と思っていた。我ながらなんという逆恨みだろうか。笑 大丈夫かこの記事?笑

という感じで、私一人勝手に対抗心を燃やしていて、その準備を始めた。まず開催時間を20:30から21:30に決め、それからマリオカートWiiでは、正々堂々と勝負をすることがいいとされていたから、オンラインマナーも公式ルールとしていれよう....などなど。現在のかごログ杯も、20:30という中途半端な時間から始まるでしょう? 実はこれ、当時のKagome杯が人気になって参加者が集まれば、後の21:00から開催されるプリアラ杯の出鼻を挫くことができるじゃない? これの名残なんです。笑 当時の私って、誰かに「一緒に遊ぼうよ🎵(*´ω`)」と声をかける勇気もない、なにもできないへっぽこの癖に強がっている本当にダメダメな子でした。

Kagome杯の誕生、そして再会。

でもこうして、2014年8月12日。Kagome杯が始まったのでした。
最初の参加者さんは1名でした。無観客で40分待った末のお客様でした。なかなか先の思いやられるスタートを切りました。笑 でもこの後、正式に公式ルールを制定したことをきっかけに興味を持ってくれた方がフレンドになってくれ、その方が遊びに来てくれることでそのお友達の子にわずかながら知ってもらえる機会を得ることが出来ました。

ある朝のこと。それは大会をはじめて3回目の開催が終わった8月24日のことだった。この頃、少しずつ一緒に走ってくれる人がいたおかげで、私は先に書いたもんもんとしていた気持ちをもうすでに半分忘れていた。笑 一緒に走ってくれる人が少なからずいるという安心感が、持ち前のポジティブさというか楽観的な性格を思い出させた。笑 なのでこの時は「うちはうちらしくてきとーに楽しくやればいいや~♪(*´ω`)」という感じだった。笑 あんなになんでMiiverseつけたんだとか思っていたくせに、すっかり日課になったミバを除いてふんふんふーん🎵していたら、フォロワーが一人増えていた。

プリアラさんに、フォローされました」
プリアラさんにフォローされました!?!?!?!?!?!?!?(=゚ω゚=)笑
はぁ!?!?!?!??!?!(*´Д`) なんで!?!?!?!?! 意味わからん!!!!!!

人間の器を見せつけられて、共に生きていきたい

プリにゃふーに親しくなってから聞いたところ、私の大会に来てくれていた方とフレンドでありMiiverse経由で発見して、なんとなく合いそうだったからだそうです。笑 とにかく、なんとプリにゃふーの方から私を見つけ、興味を持ってくれたみたいでした。しかもフォローまでしてくれて!?✨ でもこういう人は、みんなに対して優しくて社交的だから、きっとでもすぐ遊ばなくなるよね~、たぶん自分の大会のためにいろいろ声かけて回ってるだけでそんなものよね~と思っていたのだけども。今書いてて思うんだけど、当時の私はどこまでひねくれているんだ。笑 

プリにゃふーは、どこの馬のかごとも知らん私とフレンドになってくれ、さらにはKagome杯への参加も約束してくれました。しかもしっかり週末に遊びに来てくれて、それからなるべく通いたいからよろしくね✨✨という超絶器の大きさを見せつけられた私は、すっかり取り込まれることになります。笑 回を重ねるうち、私は自分がいかにひねくれていて、その癖になにもしなかったかを思い知りました。誰かのために何もできない哀れで無能な人間が、誰かの心を動かすなんてできるはずがない。でも、そんな私に手を差し伸べて応援しようとしてくれる人がいる。そんな想いに答えたい。だから私は、プリアラ杯と正式に協力関係をお願いし、マリカ界の発展を願い、共に歩んでいくことを決めました。Kagome杯に遊びに来てくれた方がスムーズにプリアラ杯へ参加できるようにルールを改定しました。ふたつの大会がどちらも活動を続けられるよう、私たちは手と手を取り合ったのです。

大切な人たち

プリにゃふーが参加してくれるようになってから、Kagome杯は急速に発展を遂げました。具体的には、プリにゃふーのフレンドさんのなかで、興味を持ってくれた方が何人かいてKagome杯にも参加してくれるようになっていったのです。その中でも一人、書き残さなければならないのは、かれんちゃんでしょう。かれのんは、私にとっては妹同然でした。引退する時はガチで泣きました。笑 かれのんは、Kagome杯のために日々尽力してくれ、たくさんの企画を一緒に考えたり、プリにゃふーと同じ様にたくさんの人との係わりを繋いでくれました。具体的には書ききれませんが、そのなかでも残しておかなければいけないことは、カオスちゃんのことでしょう。

妹が引退する時、私にひとつお願いを残していきました。「繊細で優しすぎるがゆえ、悩みすぎてしまう。それを人に話せない、けれどもそんな心の動きに気付けるのはかごたんしかいないと思うから、カオスちゃんのことをお願いしたい」と。要約するとこんな感じでした。今もこのメッセージは残っていて、私の大切な宝物です。それから、私は周りの人たちの助けも得て、カオスちゃんをここに連れてきました。

舞台はNintendo Switch

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プリにゃふーに助けられ、かれのんを見送って、いよいよNintendo Switchとマリオカート8DXが発売になり、舞台はSwitchの世界となりました。活動拠点もMiiverseの終了に伴ってTwitterへ移転し、気が付けばWiiUの頃からもう3年ほど、なんやかんやで主催者として活動を続けてきたことになります。(=゚ω゚=)

この頃になると動画編集も自主的に勉強し、YouTubeの活動もしながら大会を切り盛りしてて、少し自信もついてきた頃でした。フレンドも以前よりだいぶ増えていて、Switchでもばりばり楽しい会を続けていくぞ!!という感じ✨(*´ω`) プリにゃふーやかれのんがくれたたくさんの奇跡。それを身近で見てきたからこそ、これからももっと素敵な出来事が待っているに違いないし、たくさんの人に囲まれていて私はいつしか、主催を始めた頃の気持ちを少し、忘れつつあったのかもしれない。もしくは激変した環境に関して、あまりに楽観的すぎたのかもしれない。

主催者の傲慢

新天地のSwitchとTwitterをメインにした世界は、次第に暗雲が立ち込めていった。結論から言えば、これまで順調にまわっていた大会が突然、次第にまわらなくなった。その全部を書くことはできないけど、思い出しながら少しずつ書くとすれば、Twitterという世界に馴染めず、心を痛めて去っていったフレンドさんがいたり、親友が病気にかかってしまったり、そんな感じで少しずつTwitterにあった闇は私たちを取り込んでいった。

そんな当時の私は、たくさんの奇跡を知っていたからこそ、前しか見ていなくて、環境が変わってしまったことに戸惑っている子、生活の環境が変わってしまった子、そんな子たちに寄り添えてなかったと思う。未来に待っているであろうキラキラした奇跡に想いを馳せすぎていた。だからついて来られず、苦しい思いをしているフレンドさんたちに寄り添うことが出来なかった。

当時の私は、Kagome杯は自分のものだから、自分の好きにしていいと思っていた。誤解のないように伝えたいのだけど、毎週大会を開催して主催者であり続けるということは、決して簡単なことではない。そういう経験のない人には想像しにくいかもしれないけど、単に日時を決めて告知をしただけでは、人は集まらない。もちろん単純にフレンド戦をするとか、時間が空いてるから一緒に遊ぼう🎵ということでよいのなら、これでも全然OKなのだけど。毎週決まった時間に開催をして、継続的に参加してもらうためには、これだけではダメなのです。特に私は、相手への感謝を大切にしたいと強く思っていたから、自分で言うのものも変だけども、マリオカートで大会を主催することにしっかりとした誇りとプライドを持っていた。ただ一方で、私は主催者としてやはり決定的に、大きな過失が、足りないものがあった。先に書いたようにに元々はひねくれ者のコミュ障だったから、当時はそのことにまったく気づかなかった。

崩壊の足音

毎週決まった時間にいつもの顔ぶれが同じ時間を過ごすということは、どういうことだろうか? 当時の私にとってKagome杯という時間は、私と参加者さん個人が触れ合い、つながる場所と思っていた。私自身、人付き合いが苦手なので、どうしてもそういうグループ化をしたくなかった。みんなにも、グループに所属しているからみんなと絶対仲良くしなければいけない、というような空気感をつくりたくなかった。つまり当時の私にとってのKagome杯は、究極的に「私、Kagome」と「参加者さんであるあなた」しか存在しない空間だった。だから私がKagome杯を開催し参加するということは、例えるならプリにゃふーと会うためだったし、さやかとも会うためのものでしかなかった。そうしたひとりひとりのために大会をつくったつもりだった。

けれども、それが大きな間違いであった。結論から言えば、うちの参加者さんたちは私の想像をはるかに超えて優しく、まともな人たちばっかりであったのである。そういう優しく、常識と礼儀をわきまえた愛の溢れる人たちが集まり、毎週顔を突き合わせることになったら、どうなるだろうか? 優しい人たちが生む優しい雰囲気は自然と辺りを満たして、優しいグループが完成してしまうのである。笑 Kagome杯から生まれた関係は、やがて私の理解の範疇を超え、高度な優しいコミュニティへと発展していた。

結論から言うことにしよう。私はこの高度に発展したコミュニティをまとめることができなくなった。その原因は間違いなく、私自身がこういう進化したコミュニティは「自分のためにあり、同時にみんなのためにも存在している」ということを理解できていなかったからにほかならない。

無事に病む。笑

私がつくったKagome杯なのに、いつしかKagome杯は私のものでなくなってしまった。
なら、ここにあるのはなんなのだろう...? 私はなんのために主催を続けていたんだろう...。ということがある日突然、わからなくなった。同時にKagome杯では、Twitterに移設したことをきっかけに様々な問題が起こるようになった。先に述べたようにTwitterの空気感に馴染めず悩みを抱える子、参加者さん同士やその他でトラブルが起こったり、その度に私は対応に追われた。いつしか気が付くと、いつも心が疲れていて、大会もただ毎週の習慣だから続けているような感じになった。簡単に話すと心理的にいっぱいっぱいになり病んだ結果、私は2回くらいフレンドさんを全員切り捨て、その度に大会も放り出した。1回目はそれでも、全員のフレンドさんが、私の帰りを待っていてくれた。この場をお借りして本当に申し訳ないことをしてごめんなさいという謝罪と、それでも待っていてくれてありがとうという感謝を書き残しておきたい。

最後のKagome

そんなこんなでなんとか、フレンドさんの優しい支えもあって一旦は持ち直したけれども...。私の心にあいた穴は埋まらず、2019年6月22日の開催を持ってKagome杯はその役目を終えた。実は当初はまだ続けようと思っていて、週開催をいったんやめてみたらどうかとか、フレンドさんがあれこれ考えてくれたりしていたのだけど。

心が決まったのは7月15日のことだった。その時のKagome杯は、無期限の休会中で不定期で開催するという感じだった。その頃に身近にいてくれたフレンドさんは、全盛期の半分くらいになっていた。いろいろなものを手放してみて、私は最初の気持ちを、プリアラ杯にあこがれた気持ち、主催し始めたばかりの頃の気持ちを少しずつ思い出した。当時で約5年という時間、たくさんの想いを抱いて続けてきた大会をちゃんと終わらせなければと思った。私なりの感謝と謝罪を動画に込め、アップロードした。この動画の公開を持って、Kagome杯は終わりました。

終らない人

めちゃめちゃおこがましいんだけど、スタジオジブリ宮崎駿監督の気持ちがすごいよくわかった。笑 結論から言えばもうこのブログがあり、かごログ杯がある時点で、そうです。また私は、マリオカートの大会を主催しています。笑

ちょっとはっきりとは覚えてないんだけど、ある日のことだった。数年間主催者として生きてきてその役目を畳み、普通のプレイヤーにもどってマリカをしていた時のお話。オンラインで、ずいぶんとまぁ余裕のない人を見かけた。長年主催者をしていたからこそ、相手の走りや動きを観察する癖がついていた私は、走り方を見たときになんとなく相手の気持ちがわかるようになっていた。その方のもう名前も忘れてしまったのだけど、なぜかその方の走りが目に焼き付いたのは、走り方から「強い恐怖感」が伝わってきたからだった。何かを恐れ、怖がっているような。実際は知らないけどさ。笑 その時一緒に走っていたプリにゃふーさえ、「なんか変だったね」というぐらい。

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その時、私は唐突にしめじちゃんの言葉を思い出した。私が辛く、苦しんでいた時に、「みんなの帰れる場所っていうのは、もちろんかごめちゃんも含まれている。かごめちゃんも楽しめる大会じゃなかったら、それはKagome杯じゃない」と背中を押してくれたしめじちゃんの言葉。オンラインで出会った誰かさんの姿。

それらがまた私の心に、もう一度火をつけた。マリオカートというゲームは、あんな恐怖感に駆られて走るものじゃない。ゲームは人を幸せにするためのものだと思うから。あんな人たちが増えてしまったとき、画面の向こうにいる人のことを考えない人たちばかりになってしまったとき、漠然とマリオカートというゲームは終わると思った。

再出発、かごログ杯の誕生

そこから私はもう一度、主催者として生きることを心に決めた。
一緒に走る楽しさを共有したい。みんなが自分らしく、共存できるように。

まずはじめにしたことは、かごログの設立と問題の経緯を改めてしっかり考え直すことだった。”なぜKagome杯が上手くいかなかったか”をちゃんと考えた。いったん崩壊してひとりぼっちになり、それでも待っていてくれたフレンドさんが近くにいてくれたからこそ、私は気が付いた。主催者としてずいぶん傲慢であったことと、大会は自分のためでもあるけど、みんなのためでもあるということを。そして来る2019年9月24日。プリにゃふーの誕生日をお祝いする会をもって、かごログ杯は誕生した。久しぶりにマリオカートの動画編集をして、誕生日のための動画をつくってみて、そこからまた私はたくさんのことを思い出した。

ここまで来られたことすべてプリにゃふーが最初にタネをまき、その恩恵を受けていたからこそ、私が主催者であり続けられたこと。そんな大切なつながりを私は、自らの手でつぶしてしまったこと、それでもまた私が立ち上がるのを待っていてくれる人たちがいること。そうした日常が決して当たり前ではなく、いくつもの奇跡的なバランスを持って成り立っているんだということを。そのことに気が付いたとき、私は思った。

だからこそ、今ある大切な絆と、これから生まれる絆を、

私なりに、"懸命に、愛そう"と。

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 主催者として想う

私は、このマリオカートというゲームを通して、主催者であることを通して本当にたくさんのことを学んだ。相手への思いやりや、感謝や礼儀。今でもまぁ、なかなかのへっぽこなのですが、それでも少しはマシになった。私は、大会を主催しているという自覚と責任感が前よりも強くなったと思う。そしていつしか、みんなと出会い、たくさんの奇跡をくれたマリオカートになにかを返したい。そう考えるようになった。

かごログ杯が、”あなたらしさ”にこだわるのは、私自身が何もできないへっぽこだったけど、そんな自分を受けれてほしかったからです。それが幸いにも、Miiverseを通して出会ったかけがえのない人たちに受け入れてもらえたから。だから私も、そんな風にしてあげれるようになりたい、そんな想いを込めているのです。

かごログ杯が、"みんなでつくりあげていきたい"ことにこだわるのは、そんな恵まれたつながりを私自身の傲慢さを持って、一度壊してしまったからです。それでもまだ、一緒にいてくれる人がいて、何気ない日常が大切なんだと教えてもらえたから。

この物語を通して、私が伝えたかったことは、
「画面の向こうにいるのは人間である」ということです。

こうした感謝や礼儀を大切にできないプレイヤーが増えれば、いつかマリオカートは衰退し終わってしまうと思う。けれども、礼儀や感謝を大切にするプレイヤーが増えていけば、きっとマリオカートというゲームを好きになる人が増え、愛されるからこそ、任天堂の素晴らしいスタッフの皆様は、私たちに新しい驚きと素敵な体験を提供してくれると信じたい。私たちは、ただのいちユーザーにすぎないのかもしれないけど、それでもマリオカートのためにできることがきっと何かあるはずだ。

かごログ杯は、そうしたマリオカートの発展に微力ながら貢献をしたい。
だって、マリオカートMiiverseが私たちをつないでくれたから。
そのうえで、かけがえのない奇跡をくれる参加者のみんなを幸せにしたい。
....と、本気で考えています。ガチで✨(*´ω`)笑

その後....

これ以降の物語は、ブログとYouTubeにあります。かごログ杯のものは全部✨(*´ω`)
面倒かもですが気になるなら、メニューから古い順に読み返してくださいませ🎵笑
戯れに書き記した物語も、ここまでと致しましょう。
いつか私たちの魂が色褪せるその時まで、
できることなら私は、その瞬間まで主催者であり続けたい。

                              2021.5.15 Kagome