☆かごログ☆

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伏見稲荷大社へ。

この前、京都にある伏見稲荷大社へ行ってきました✨

行った理由? なんでだろう? 導かれた?笑

伏見稲荷大社

JR稲荷駅を降りると、もう迷いようがないくらい目の前にどどーん!!✨と伏見稲荷大社が見えました。ホントに目の前でした!!笑 本当は写真をいくつか撮りたかったのですが、お稲荷様は写真を撮られることを嫌う?とか、相性の悪い人間は躓かせて転ばせることがある...とか聞いたので、スマホはリュックに入れたまま行きました。

稲荷大社の入り口にでっかい鳥居があるのですが、鳥居は現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境目にあるもので、人間が暮らす世界と神様が居られる世界の境目の門のようなもの。と聞いたことがあったので、入る前に気持ちを落ち着けてからくぐりました。新型コロナウィルスが蔓延していますが、それでも多くの参拝者の方、外国の人の方も多くて本殿は賑やかでした。行ってみて気が付きましたが、稲荷大社は多くの神様や祀られている祠が数えきれないくらいたくさんあったので、お参りするなら小銭を多めに持っていたほうがいいと思います。

本殿へお参りさせていただいて、奥へ進むと有名な「千本鳥居」が!!

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画像は伏見稲荷大社HP様のものです<http://inari.jp/sp/map/spot_07/

伏見稲荷大社は自然が豊かなところで、稲荷山を神体としているみたいです。本殿は麓にあり駅からすぐのところですが、稲荷山そのものが大社なのかな?

千本鳥居から続く道

千本鳥居をしばらく進むと、舗装されていない脇道?を見つけました。山を誰かが繰り返し通って踏み固められた道といえばいいのかなぁ。多くの人は普通にそのまま千本鳥居を進んでいかれてたのですが、なんとなく惹かれて行ってみることにしました。

けもの道のような道を進めば進むほど、少しずつ道は険しくなり、人の気配は少なくなり、山の奥深くへと誘われているような感じがしました。そうして少し行くと山の奥にも社が。その社をさらに通り過ぎていくと...、竹林が鬱蒼と生い茂るあちこちにたくさんの祠がありました。日本は多神教、神様は複数いてそれぞれが大切に祀られているという考え方ですが、たくさんの何かを祀られた祠を見て、改めて日本は八百万の神の国なんだと思いました。本殿付近の賑やかな喧噪から一転、ここには静かに眠る様に大切に祀られている神様と、竹林....というより稲荷山がここを守っているように思えました。なんか言葉にするのが難しい不思議な感じがした。

呼声大神、青木大神

気が付くと、稲荷大神様ではない神様の名前が。「あれ? ここ伏見稲荷大社よね?」と焦りつつ。あぁ、私って自分の生まれた国なのにこの国のこと、この国におられる神様のこととか何も知らないんだ...と、勉強が足りないなぁと反省。浅葉なつさんの『神様の御用人』という小説が好きで全巻読んでいるので、それなりに詳しくなったつもりでいました💧(泣沢女神のお話が好きです。笑)

無知で申し訳ないなと思いつつ、心の中で「ご挨拶にやって参りました」とお伝えして来ました。....思えば、神様へのお参りの仕方もよく知らないのかもしれない。ここで出会った神様は、すごく存在感のある御方様でした。元々行くつもりで来たのですが、改めて伏見稲荷の一番高い所へ。ご挨拶に行こう、と強く思いました。

小さな滝と来た道を戻る

やがて進むと眼前にコンクリートの道と右手には現世の世界?と思われる開かれた場所に出ました。看板が立っていて、どうやら滝があるみたいなので見に行くことに。左手に進んで下ったところに小さな滝がありました。滝にもお参りして、ふと辺りを見渡すと、どっちに進んでいいのかわからなくなりました。なので来た道を戻ることに。あとからわかったのですが、こちら側のルートでも稲荷山の山頂まで向かうことができたようです。もしまた行く機会があったら、今度はこっちから行きたい。山の道、竹林の道を戻って千本鳥居へ。そしてここから稲荷山の山頂を目指して歩くことになるのです。

四ツ辻から辻から一ノ峰へ

千本鳥居から鳥居に沿って歩くと、稲荷山の山頂へと続く道を見つけることができます。早速歩き始めました。石の階段を登り、登って進むと大きな池を発見。結構大変だったので、飲み物を買いました。ちなみに山価格です。笑 山の上に行けば行くほど、自動販売機などで売られている物品の値段が高くなるんです。歩荷(ぼっか)といって、山の上で必要になる商品は、人が背負って運んでくるからだそうで。ちなみに浅葉なつさんの『山がわたしを呼んでいる!』で知りました。笑 余談はさておき、さらにさらに登っていきます。驚いたのは、綺麗な着物を着て登っておられる方もおられました。着物は歩きにくそうで....がんばって!!✨(心の中で笑)

四ツ辻まで来ると、京都の街がどーん!!と見えました。景色がとても綺麗。写真撮りたかった...笑 もちろん撮ってる方もいましたが、お稲荷さんが嫌がってもダメなのでぐっと我慢。心の中にしまっておきます。もし興味をもたれたら、ぜひご自身で登ってみてください✨ 山頂はまだこの先。まだまだ歩きます。

待っている一柱

この先、一ノ峰を目指して歩く道なりにも、神様が祀られている祠がいくつもありました。その中の一柱、誰かのことを待っている神様と出会いました。ちょっとどう表現していいのかわかりませんが、この祠にお参りに来る誰かのことを探している?(待っている?)神様がいらっしゃったみたいでした。

詳しいことはわからない....。稲荷山が神体になる前、恐らくきっと大勢の人々が、社や祠、鳥居を建てるためにこの地を訪れたはずです。なにかの理由があってここに祀ったのでしょう。険しい山々を鳥居や祠を建てるための石や木を抱えて登ってきたのだとしたら、どれほどの苦労があったでしょうか。それでも危険を冒してでも建てようとしたのは、強い「信仰」や「祈り」があったからではないでしょうか。そうして建てられ、祀られている神様が、誰かを待っているというのは、どうも不思議な感じがするのです。そんな苦労をして祠を建てた人間は、きっと神様を信じているはずだから。次の世代へと伝えていくはずだから。

もし、この神様が誰かのことを待っているのなら。どうかあなた様の元へ、その方がお参りに来られますように。と願いました。ここまで私が登ってきた道のりが大変だったからこそ、そう感じました。....私の考えすぎであれば幸いですが....。

一ノ峰、山頂

祠を後にし、ひたすら石の階段を登ります。四ツ辻からは20分だそうですが、気持ち長く感じました。結構大変。冬なのに暑かった。笑 ひたすら登り、二ノ峯を超えさらに登り、一ノ峰の少し上。稲荷山の山頂に社がありました。たくさんの神様たちと出会い、いろんなことを肌で感じた旅の終着点。山頂でお参りして、記念にトートバッグを買いました。ふと思ったんだけど、山頂のお茶屋さんは毎日ここまで登ってくるんだろうか...。稲荷山のてっぺんで、この旅で出会った神様のことを思い返しました。存在感のある神様のことと、待っている神様のこと。人が神様の領域へ、土足で踏み込むことはよくない。けれども、神と人との間にささやかでも確かな絆があればいいな。

まだ少し肌寒い3月の風が吹く稲荷山で、そんなことをふと想いました。

旅を終えて -神と人と-

今を生きる人たちを見ていて、内心はらはらするというか、どうしようもなく不安になることが度々ある。

私たちの世界には、科学や技術では説明のできないなにかが起こることがあり、それは時に奇跡として表れたかと思えば、災いとして降りかかってくることもある。私たちは、傲慢になってはいけない。どれだけ技術や科学が進歩したとしても、世界や命をありのままに操ることなんかできない。目に見えない不可思議なものを盲信するのはよくないけど、疎かにしてはいけない。そういう意味では、私はスピルチュアル的なものはあんまり信じないけど、でも確かな何かはある、と思う。

だから、面白半分で心霊スポットに行く人や、神社や祀られているなにかにいたずらをする人がいるというニュースを見たとき、不安になる。理由はわからなくても、そうして祀られたり、立ち入りを制限されている場所には、やっぱりなにかの事情や理由が必ずある。私たちには、私たちの理解の及ばない存在が必要だと思う。でなければ、私たちは、欲望の赴くまま、世界を汚して壊してしまう。そういう意味で、神という存在は必要なんだって想う。実際にいるとかいないとかいう話ではなく、”お天道様がいつも見ているから”という考え方そのものが必要だって。私たちは、普段から多くの命や存在に支えられて生きている。何かの命を殺して、頂いて糧にして。私たちの与り知らぬ所でも、なにかに支えられて生かされている。

私はこういうことを、忘れないでいたい。あともっと勉強が足りないなーと本当に思った。あまりに多くのことを知らなかった。でも今回は伏見稲荷大社へ足を運んで、自分の目で見て、聞いて感じて。全然足りないけど、少しだけわかった。日本は、八百万の神々がいる国だけど、そういう事実を自らの目で見て、祀られている雰囲気を感じて、知ることができたということは、大切な糧になった。行ってみてわからないことも増えたけど。笑 お稲荷様と竹はなにか関係があるのかな?とか。あの祠ひとつひとつに祀られているたくさんの神様たちのことは、結局よくわからなかった。

人間は稲荷山を神体として、祀ろうと考えたのはどうしてなんだろう。あんな険しい山の上まで社を建てようと思えば、容易ではないはずなのに。それだけ強い「願い」やもしくは「祈り」があったのか。あんな山の上に社がある....という事実は、神と人との間になんらかの、でも確かな関りがあると思えてならなかった。人は神様を信じていたし、神様もまた何かの形で人の生活に関わっていたんだ。でも普段の生活を過ごしていて、こういうことを考える機会ってほぼない。難しいことはよくわからないけど、技術や経済の進歩とかそういうことが、かつての人たちには見えていたなにかを見えにくくしている気がする。もっとシンプルに生きればいいのに。

私はまた、どこかに出かけたい。知りたいことがたくさんある。何かを知り、理解すれば、新しい価値観になる。新しい価値観は、自分の視野をひろげ、見えるものが広がれば、これまで知ることができなかった何かを理解できるようになる。

つまり、知ることは生きることそのものだから。

参考URL

伏見稲荷大社http://inari.jp/sp/

「千本鳥居」http://inari.jp/sp/map/spot_07/