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映画「聲の形」感想

前の記事でも書きましたが、聲の形という映画は、

気軽に見て笑えるような作品ではありません。

けれども、人の心情や人間関係をとても緻密に、丁寧に描かれた作品です。

今年の7月31日に金曜ロードショーで放送されました。

今回はこの「聲の形」の感想を書きまする✨笑

あらすじは前の記事に書いてますので、そちらを見てくださいな~✨

以下の内容は、ネタバレありです!!

ありよりのありです!!笑

ネタバレダメな方はここでバックしてね!!

さぁいそげぇー!!>ω<笑

↓あらすじはこっちへ✨↓

簡単なあらすじ

小学生の時に耳が聞こえない硝子ちゃんに気持ちを上手く伝えられず、いじめてしまった石田くん。高校生になった彼は、かつての明るい性格を失って落ち着いた青年になり、クラスで孤立していた。硝子ちゃんが転校した後、彼もまたいじめられてしまったのだ。自業自得ではあるんだけど、石田くんはこれによって人との接し方や係わり方がわからなくなってしまう。あることがきっかけに石田くんは、硝子ちゃんに会いに行く。無意識に口から出た、あの時に伝えられなかった「俺と西宮、友達になれるかな?」という言葉をきっかけに二人は少しずつ交流を深めていくことになります。かつての友達に会いに行き、新しい友達もできて、一見ちょっぴり苦いところもある青春のような雰囲気になるのですが、聲の形はそれだけでは終わりません。笑

物語の背景「傷」

硝子ちゃんは自分の耳が聞こえないから、ノートで他の人たちと会話(いわゆる筆談)をしていました。優しい性格なので、耳が聞こえない自分のことで周りの人たちに不便を強いていることを知っていたし、だからこそ、いつも笑って明るく振舞おうとしていました。そんな硝子ちゃんに理解を示すクラスメイトもいたものの、いつも愛想笑いを浮かべている硝子ちゃんが苦手な植野さん、そして不器用で自分の本当の気持ちを上手く伝えられない石田くん。こうした一部の人たちは、硝子ちゃんとかかわるのが億劫で避けてしまったり、からかい始めるようになり、やがてそれはいじめといって差し支えないものにエスカレートしていきます。それでもいつも笑って、みんなと仲良くしようと努めていた硝子ちゃん。けれども、伝えようとすればするほど、わからなくなり、伝わらなくなり、状況は悪くなる一方なのでした...。

開かれたクラス会議でいじめを先導していたとして、責められる石田くん。確かに石田くんも悪いのですが...、クラス全体でも硝子ちゃんに対して配慮が欠ける場面が多くあり、根本的なところで硝子ちゃんを受け入れる空気をつくらなかった担任も含めた全員のせいでもあるし、硝子ちゃんにもクラスのみんなに対して上手な配慮が必要な問題でした。この辺の空気感とてもリアルです。なにはともあれ、石田くんは担任からいじめの主犯ということにされ、結果的に硝子ちゃんは転校していきました。硝子ちゃんをいじめたことが原因で、石田くんはいじめられるようになり、明確な犯人を見据えることで、クラスのみんなはすべての責任を転嫁するのです。自分もいじめの容認した、もしくは知っててなにもしなかったくせに。 この辺り本当にリアルです。笑 

中学に上がっても、このことが尾を引いて、人から避けられ、自身の過ちから手痛い経験をして傷ついた石田くん。それらを見て見ぬフリをして罪悪感に傷ついてきたみんな。耳が聞こえないだけで受け入れられず、傷ついた硝子ちゃん。聲の形には、こうしたいくつもの「傷」が物語の背景にあります。

それぞれの想い

聲の形の魅力のひとつは、登場人物のそれぞれが立っていて、それでいて相応に不器用であるというところだと思う。

石田くんは、手元に残ったノートを硝子ちゃんに手渡すために会いに行きます。そこから二人は、かつて伝えることができなかった”こえ”を伝え合おうと、交流していくことになるのです。ですがそうした青春は上手くいきません。過去と様々な想いが交錯し、結果的に石田くんは、再び浮いてしまうことになります。それでも石田くんは、硝子ちゃんと夏休みを一緒に過ごそうとするのですが...。

川井さんは、委員長タイプで間違ったことが許せない正義感が強いタイプの女子。けれども同時に典型的ないい子ちゃんで、中身がなく表面的なことしか言わない。場を引っ張るリーダーのように見えて、実はまとめる力がまったくない。ある意味曲者。笑 彼女は、誰も傷つけないようにしつつも、自分は一切責任を取らないし、自発的に誰かのために動いたりはしないのですから。

植野さんは、排他的で硝子ちゃんへのいじめをある意味先導しつつも、その動機にあったのは、硝子ちゃんが自身と向き合ってくれない寂しさを感じていたからでした。それでも高校生になって、身勝手な感情でいじめを先導していたこと、最終的に石田くんを救えなかったことをずっと後悔していることが振る舞いを見ていてわかる。彼女は、人によっては冷たい子に見えるかもしれない。でも一方で、彼女なりに筋を通そうとしていたと私は思います。自発的に石田くんを救おうと動いたし、硝子ちゃんのことは嫌いだけども、それでも害さない。表面的であれ上手にやろうと提案する観覧車のシーンは、何も言わず避けたり嫌がらせするよりも、大人な判断であると思う。

石田くんは、究極的に不器用な子だった。(私もそうなので大変よくわかる)
本当はもっとたくさん硝子ちゃんと話して、わかりたかったのに、耳が聞こえないという硝子ちゃんのハンデに対して、配慮してあげられるだけの振る舞いができなかった。小学生なので当然ですが...。「私とあなたは友達」という意味を理解できず、理解できないから、苛立って。気持ちは理解するけど、石田くんがしたことは許されることではない。けれども一方で、彼は手痛い教訓を通して、本当に自身の過ちを後悔したから、手話を覚えたんだと思う。耳が聞こえない人と会話ができるレベルで手話が使えるということは、相当な努力をしたはずだし、口先だけのごめんなさい程度の気持ちではできないことだと思う。そういう意味で石田くんは、自分のしたことを後悔して、その報いを受け入れしっかりを前を見ている。大切なのは、過ちを犯した後だと思う。ここにその人の真価が問われる。本当に取り返しがつかないこともあるけど、反省し次に活かすことができるのなら、赦されていいのではないか...と思いました。

硝子ちゃんは、学校では気丈にふるまいながらも、自身がいじめられ、受け入れられない苦しみを心の奥にずっと抱えていた。せっかく分かり合えた石田くんとつくったものを壊してしまったことをきっかけに、硝子ちゃんは運命に対して自分なりの答えをもって答えようとしたんだろう...。それが花火のシーン。でもそれは残された者のことを一切考えていないし、何も根本的な解決にもなっていない。本当に責任を取るなら、石田くんが必死に手話を覚えて現れたように、硝子ちゃんなりにできることをやるべきだから。石田くんは、命懸けでそれを硝子ちゃんに教えた。

文化祭、エンディング

そして、無事に迎えた文化祭。また何気ないことで植野さんに謝ってしまう硝子ちゃん。しかし変わったのは植野さんのほうで、「また謝った‼️ ま、それがあんたか。」"手話で"ばーか🎵と言うシーン。なんというかもう、お見事な‼️✨ 植野さんと硝子ちゃんの間には解消されない深い溝があったのは、先に述べた通り。けれども、重要なのは植野さんが「手話」で、つまり「硝子ちゃんの言葉で」話したというのがポイントなのです‼️ 相手の言葉で。これは言うまでもなく、相手と対話しようとする姿勢そのものから表れる態度にほかなりません。あれだけ嫌っていた硝子ちゃんに対して、植野さんが不器用な硝子ちゃんに合わせて話そうとしたのです‼️ それを察した硝子ちゃんは、嬉しそうに手を取り、ば、か。と続ける。本物の笑顔を浮かべて。このシーンを見てもうやっぱりにんまり🎵せざる得なかった。笑
そこから迎えた文化祭で、石田くんの音がはじける。今まで耳を塞いで人の顔を見ないように過ごしていた石田くんの目が、耳が、確かな意思をもって"本来の音"を届ける。そこにあるのは文化祭を楽しむ生徒たちの楽しそうな声。そう、皮肉なのですけど人って意外と"第三者である自分"のことを見ていないんですよね。つまり過去に縛られ自身を縛り続けていた石田くんを責める声って、自らの内の声なのです。そのことに気がついたとき、他者はどうあれ石田くんは、自分自身のことを少しだけ許してあげられるのではないか、と思うのです。繰り返しますが、いじめは許されない問題です。けれども、聲の形が描こうとしたものは、断罪すべき悪ではなく、間違いなくコミュニケーションの難解さの方。不器用な子供たちが、本当は仲良くお話したかったのに、「耳が聞こえない」女の子のことを幼さゆえの不器用さで傷つけてしまい、まわりまわって自身も深い傷を負ってしまったんだけども、心を込めたコミュニケーションがあればわかりあえたはずだと言うことなのです。ここで主題歌であるaikoさんの「恋をしたのは」が流れ始めます。明るくも爽やかな歌声が、この映画を見終わった‼️という余韻を包んでくれます。

状況だけ見ると聲の形は、決して楽観的な終わり方ではないです。✖✖✖✖✖は、回復しても後に再びまた繰り返す傾向にあるからです。けれども、石田くんと「僕が生きるのを手伝ってほしい」という約束をしたこと。生真面目な硝子ちゃんは、きっとこの約束を疎かにしないだろうということ。何の確証もないけど、このふたりならば大丈夫ではないか、と思えるのです。この、いわゆる本当に大切なことを「言葉やセリフに頼らず表現した」ということがもう肝なのです。映画はここで終わるけど、ちゃんと最後までご覧になれば、確かな確信を持って、この映画はハッピーエンドだった‼️✨って言えると思います。ホントに、ホントにもう、お見事でした!!✨としか言いようがない。

ちゃぶ台返し。笑

概ね感想はここまで✨なのですけど、まだ記述しなければいけないことがあります。先に述べた植野さんが手話で語りかけるシーン。口では「ばーか🎵」って言ってるんですけど、手話の方が間違えていて「はか」になってしまっているんだそうです。んで、硝子ちゃんはその手話の間違いを植野さんに指摘していたらしい。

....これはいったいどういうことを意味するのか!? つまりこのシーンは、会話が成り立っているように見えて、実はそうではないのです😥 「植野さんが”相手の言葉を使って”語りかけた」という解釈でよいのならば、ここの手話は別に正しい表現でよかったはず.....。と、考えるならこのシーンは、製作者さん(原作者さん)が意図的にこう表現していると解釈できます。手話が間違えていたということは、「耳が聞こえない人と健常者には大きな隔たりがあり、容易に理解し得ない」ということを暗に示唆している....とも読み取れますが、私はそうは思いません。コミュニケーションの真髄というか、肝はそこではないと思うのです。文面通りの言葉を拾うことだけがコミュニケーションではありません。「あなたのことが大嫌いだ」という言葉だけを受け取れば、拒絶の意味になりますが、そういった人が後ろ向きで顔が見えず、声をかすかに震わせていたとしたら? 観る私たちには、また違った印象を与えるでしょう。言葉を受け取るとき、その前後にあるものや、背景にあることも踏まえて解釈をするべきです。

硝子ちゃんの表情、植野さんの表情、激しい感情のぶつかり合いの後のこと。こう考えたとき、言葉はもちろん大切だけど、その言葉に込めた想いが、それが伝わっているということが何より大切なのではないか、と。植野さんの間違いを硝子ちゃんは指摘します。でも恐らく、植野さんには伝わっていません。先ほども述べたように会話が成り立っているように見えて、実は成り立っていません。けれども、植野さんの相手の言葉を使って伝えようとする気持ちは、硝子ちゃんに伝わっていて、愛想笑いじゃない本当の笑顔がそれを裏付けているように思います。言葉では成り立っていなくても、気持ちでは会話が成り立っていて、伝わっているのです。

感想まとめ

この話を知ったとき、私はもうホントにびっくりしたのと同時に、本当に丁寧に描かれた作品であるとわかって感動しました✨ 素晴らしいとしか言いようがない。これ以上の言葉はいらないでしょう。笑 重いテーマなので決して気軽な気持ちで鑑賞して笑えるような作品ではないものの、緻密に、丁寧に描かれたこの映画には、間違いなく芸術的な価値があります。見終わったときに、言葉にはできないさわやかな余韻があなたを待っている、と思います。

聲の形は、単なるいじめの話ではないし、同時に青春や恋愛の物語でもない。ひとつの視点だけで解釈して、安易な評価をしてほしくない。この作品には、あらゆる”こえ”が、”想い”が詰まっているのです。お手元に取ることをオススメするけど、見る機会があるならじっくり座って、繰り返し見てほしい。何度か繰り返し見れば、それぞれが不器用ながらに、魅力ある人物であることが伝わってくると思うから。先に川井さんに対して酷評したけれども、でもそういう意味で優しい人がいるから、救われる人もいるのです。

この映画の感想を、言葉に起こすのは大変難しかった。めっちゃ時間かかりました。ここに書ききれない”こえ”がこの作品には詰まっています。