かごログ杯の想いに「個性を尊重する」という想いがあります。
これだけを聞くと、もしかしたらよいイメージを持っていただけるかもしれません。
けれどもこの想いは、かごログ杯において決して参加者さんにとって都合の良い部分だけがクローズアップされるわけではありません。そして同時に、今のかごログ杯の課題であるともいえます。
"Miiverse"という土壌
WiiUにあったゲーム用SNS、Miiverseは本当に素晴らしいものでした。
何がどう素晴らしいかと言えば、ゲームのアカウントとMiiverseのアカウントが密接につながっていることにあります。このことにより、画面の向こうの人のことを意識せざる得ない場面が多かったのです。
例えば、オンラインで遊んでいて不愉快な思いをしたとします。先に述べたようにゲームアカウントとMiiverseは密接に提携されていて、つまり特定しよう思えばMiiverseのアカウントを突き止め、親しくしているフレンドや、持っているゲーム、投稿している内容などすべて見ることができるのです。直接コメントをすることもできるし、IDは変更できないためMiiを変えたとしても、逃げ切ることはできないし、本当に逃げ切るのならゲームデータごとアカウントを消すしかないのです。
だからMiiverseを使っていれば、オンラインのマナーや、相手を不快にさせないコミュニケーション力などが、自然と少しずつ身についていくのです。現在のかごログ杯にいるメンバーが、Miiverseで活動していたことがある、もしくは使ったことがある人ばかりです。たぶんそれぞれにMiiverseを通して失敗したり、気まずい思いをした経験があったり、もしくはそれ以前にアカウントとMiiverseがリンクしていることをいち早く察し、大人な振る舞いができた人たちばかり...というわけです。
相手を傷つけてしまったり、周りを省みない振る舞いをしていると、Miiverseでは大変に困ることになります。そういうことのひとつひとつは、必ず自分の身に返って来るのです。(私も経験があります。笑 あの時に迷惑をかけてしまった方、この場をお借りしてごめんなさいorz)でも逆に逃げられないからこそ、痛みを伴って返って来るからこそ、”気付く”ことができ、じゃあ今度は失敗しないようにしよう、人を大切にしよう、と失敗を通して学ぶのです。
"画面の向こうにいる人"
ですが、現状Switchではこうした"画面の向こうにいる人"という意識は、薄れつつあります。当たり前ですが、SNSとSwitchのアカウントが提携しているわけではないし、極端な話ゲーム中にどんなに荒らしたとしても、それが自身に返ってくることが少ないので、本当になんというか。冷たい人も増えました。けれども同時に新しくオンラインを知らない人たちも増えました。
このオンラインを知らない人たちへ、”画面の向こうにいる人”のことを伝えるのは、なかなか簡単なことではありません。どうしてゲームで煽ってはいけないのか?という問いは、どうして人を殺してはいけないのか?という問いと私は同じだと思いますが、そもそもこの問いに辿り着けない人もいます。私たちは、例えインターネットの世界であっても、人間をまるで交換可能なモノのように扱うべきではありません。これは、倫理と人道主義の観点からです。人にされて嫌なことは、人にしない。身近にいる人に親切にする。当たり前のことです。ですが、オンラインが嚙んだ途端、このことを忘れてしまう人が多いことも事実です。Miiverseがなくなったことで、こうしたいわゆる価値観の合いそうな人を探すことが難しくなり、またかごログ杯を必要と思ってくれるような人へこの情報が届きにくい、という課題を感じています。
"個性を尊重する"とは
前置きが長くなったけど、個性を尊重するとは。あなたらしい良さ、あなたらしい個性を否定せず、ありのままに受け入れるということです。こう書くと、とても心地いい言葉のように聞こえますが、これには大きな責任が伴います。言うまでもありませんが、個性を尊重するという想いは、一方通行ではなく相互です。一方的に何もかも許され、尊重されるということではなく、個性を尊重する雰囲気だからこそ、あなたも私もそう在らねばならないという意味です。
かごログ杯は、個性を尊重します。ありのままのあなたを否定しないし、したくないという考えです。けれどもそれは、だからといって受け入れてもらえるとは限らないことも意味します。それぞれの個性を尊重したいと考えているのに、相手を想いやれず、気遣いができない方、相手を受け入れることができない方は、秩序を崩壊させるため受け入れることはできません。つまり、個性を尊重する考えだからこそ、あなたも相手の個性を尊重する優しい人である必要があるのです。人種、性別、年齢、思想、家族構成、趣向...。あらゆる概念に惑わされることなく、客観的な視点で人を見て、多様性を受け入れ、尊重できる人が必要なのです。
相手が異なる考えを持っていることを”知り”、”解ろう”とし、”受け入れる”。
でもこれはなにも難しいことじゃない、と私は思う。
ただ身近にいる家族や友達と接するのと同じようにすればよい、だけなのだから。
綺麗事だけを書きたくない理由
私が大会の主催をはじめて今年で8年になります。
8年もの間、毎週マリオカートの大会を開いています。
我ながら、少々”狂ってる”と感じます。笑
けれども、この8年という道のりは、決して平坦ではなかったし、本当にたくさんの人に迷惑をかけて、それでも支えてもらって、歩いてきた道のりです。そのなかで私自身がたくさん傷ついたこともあったし、苦しいこともたくさんあった。自分の不甲斐なさに心から絶望し、なにもかもが嫌になったこともあった。それでも、私は任天堂がつくるゲームが、マリオカートが大好きで、大好きなゲームを通して、笑顔になりたい。みんなと笑いたい。そういう想いだけで走り続けてきた8年という時間です。
この酔狂な夢を、8年もです。
なかなか伝わらないと思いますが、生半端な想いで続けることはできません。
文字通り、”愛しぬく”という強い覚悟と、想いがなければ。
私は、この時間をまったくすべて綺麗だったと偽って書きたくない。
絵にかいたようなみんなに支えられてキラキラストーリー!!✨にしたくない。
かつてはここにいて、私の弱さで傷つけ、離れていった人もいます。
Miiverseで何も知らなくて、辛い思いをさせてしまった人もいます。
その人たちの想いさえ、私は紡いでいきたいのです。
その人たちがいたから、今の私がいます。
そして今、ここにいるみんなを幸せにするのです。
本気であるからこそ、偽るのは不誠実です。
かごログ杯は、こういうことを想い、紡いでいるのです。
マリオカートを通して、人との出会いや、想いまで。